先日、弊社で完成したばかりの久保木宗一氏の「風の年代記(クロニクル)」を読み終えました。
朝読書のイメージで出社してから毎朝30~40分読んでいましたが350ページにもわたる大作、読みでがありました。
私は正直に申し上げると詩の世界はまったくと言っていいほど理解できません。
書かれた詩がどんなことを言おうとしているのか、自分の力では読み解く力がないのです。
そうした部分は久保木氏の解説に助けを借りながらではありますが読み進めていきました。
彼のエッセイを全編読んで伝わるのは、故郷(前橋)を想う気持ちです。
時にはその故郷を辛辣に綴る場面もありますが、それは愛の裏返し。
かつては萩原朔太郎、萩原恭次郎、高橋信吉など多くの文化人を生み出し、「詩のまち」として大いに栄えたこの「まち」の活気のない現状に歯がゆさを感じているのです。「詩のまち」として栄えた「まえばし」のプライド。それは1996年に前橋で開催された「世界詩人会議」の際に寄せた彼の数々のエッセイを読めばとてつもなくそれが意義のある、素晴らしいことなのか、その感情が爆発するような思いがよく感じ取れました。
そして彼の内に秘める情熱。
かつて弊社社長が彼のことを「炎の詩人」と称したことがあるそうです。
おそらく「炎の画家」と呼ばれたヴィンセント・ファン・ゴッホの称号をもじったものだと思われますが、読んでいて文字のとりわけ詩の世界への熱くたぎる情熱はずっと失われていないのだな、と感じました。普段の穏やかな語り口とは裏腹にとても熱い心を持った方なのだと認識しました。帯にも書かれているのですが過去を振り返ることがこれからの新しい出発点となります。そう、未来へのヒントは過去にあるのです。
何より私が気に入ったのは本文に使っている紙(アドニスラフ)です。風合いがすごく良くページをめくる手触りが心地良いのです。紙の本にはインクや紙の匂い、そしてページをめくる触感などデジタルでは感じられない部分を刺激されます。インスタなどのSNSやブログ、電子書籍などで自分の作品を発表する人はたくさんいます。しかし、表現するフォーマットはほかの人とすべて同じなんですよね。その点、紙の本は判型だったり紙質だったり、フォントの豊富さや装丁などでさまざまに表現することができます。これらも含めたものが「本の楽しさ」なんだろうなと思います。まだまだ読書週間は続いていますのでみなさんも「読書の秋」、楽しんでください。